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12歳の時に突発性難聴で片耳失聴し、その後は聞こえる世界と聞こえない世界を行き来する中で、人とのコミュニケーションを苦手としてきました。 今は周囲の温かいご理解ご協力の中で過ごしております。日々を大切な周りの人たちの幸せを願う傍に飾っていただけると嬉しいです。 ●2025NY公募展受賞 【プロフィール詳細】昭和の田舎生まれ、 病院も信号もコンビニもスーパーもない集落の小さな学校へ通いはじめた頃の私は真面目で親や先生の指示は神のお告げほどの力があり、鉛筆を握る頃には右手を使うように教わる。それからは疑い迷いなく書くも描くも右手のみ使用。思春期間近の頃に突発性難聴という病気を発症、病気の知識も少ない田舎の病院での処置では間に合わず右耳聴力を全くに失う。それからは人との会話がぎこちなくなり、人が私を避けることが出始めたので自ら人との距離をおくようになる。地元の高校を卒業後、工場で働くようになる。不意に、身体で表現したい衝動にかられ、建築業界の仕事へ、 はじめて左手を使い、思いきりに、でかい壁に、存分に、想いぶつける、生きたここちがした。 それから四半世紀、建築業に携わる。 コロナ後の副作用で日々日々悶々ともがき見出したのが左手で今を描き出すこと。美術に触れ学んだわけではなく、歩んできた生き様をさらけ、悩みながらも突き進む力になるようなモノを出していければと思っております。
http://www.instagram.com/mori3style_poem
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12歳の時に突発性難聴で片耳失聴し、その後は聞こえる世界と聞こえない世界を行き来する中で、人とのコミュニケーションを苦手としてきました。
今は周囲の温かいご理解ご協力の中で過ごしております。
日々を大切な周りの人たちの幸せを願う傍に飾っていただけると嬉しいです。
●2025NY公募展受賞
【プロフィール詳細】
昭和の田舎生まれ、 病院も信号もコンビニもスーパーもない集落の小さな学校へ通いはじめた頃の私は真面目で親や先生の指示は神のお告げほどの力があり、鉛筆を握る頃には右手を使うように教わる。それからは疑い迷いなく書くも描くも右手のみ使用。
思春期間近の頃に突発性難聴という病気を発症、病気の知識も少ない田舎の病院での処置では間に合わず右耳聴力を全くに失う。
それからは人との会話がぎこちなくなり、人が私を避けることが出始めたので自ら人との距離をおくようになる。地元の高校を卒業後、工場で働くようになる。不意に、身体で表現したい衝動にかられ、建築業界の仕事へ、
はじめて左手を使い、思いきりに、でかい壁に、存分に、想いぶつける、
生きたここちがした。
それから四半世紀、建築業に携わる。
コロナ後の副作用で日々日々悶々ともがき見出したのが左手で今を描き出すこと。
美術に触れ学んだわけではなく、歩んできた生き様をさらけ、悩みながらも突き進む力になるようなモノを出していければと思っております。
http://www.instagram.com/mori3style_poem