一度は封印してしまった絵画の制作を再びスタートさせた友人の言葉
ー絵を描き始めたきっかけを教えてください。
これというきっかけは特にありませんが、小さい頃から絵を描くことはすごく好きでした。小学校の6年間に何度か絵画のコンクールで賞をいただいたことがあって、それで気を良くしたところがあります。キャプテン翼やキン肉マンなど、当時流行ってた漫画を描いてクラスメイトと見せっこしていましたね。
中学も高校も美術部で、高校入学後すぐに進路を考える機会があったのですが、その時点で「表現する」ことを学ぶ方向、美術系の大学に進みたいと思っていました。ただ高校1年生の時から精神的に参ってしまって。学校でも家庭でも、いろいろなことがあって、緊張や疲労が重なり不登校気味になってしまいました。学校にはあまり行けなくなりましたが、美大の受験勉強ができる絵画の研究所に通い、自分なりの学びを進めていました。石膏や静物のデッサンに加え、僕はグラフィックデザインに興味があったので、平面構成※という、ポスターカラーやアクリル絵の具で色面を塗る勉強もしていました。
※平面構成:平面上に様々なモチーフを組み合わせて構成すること。美術大学のデザイン系学科の受験課題に使われることが多い、課題の一つ。
ー現在の絵画はデフォルメされていますが、石膏デッサンなど、写実的に描くことに関して苦しい気持ちはありましたか?
デッサン自体は好きでした。受験用ということで、結果を出さなければならないという心理的プレッシャーから、ストレスはもちろんありましたけどね。
ー高校卒業後はグラフィックデザインを学ぶ道へ進まれたのですか?
いえ、大学受験の途中でもともと調子が悪かった精神的なものがひどくなり、精神科の閉鎖病棟へ入院して、生活することもままならなくなってしまって。受験自体をドロップアウトしてしまったんです。学びたい気持ちはすごくありましたが、心身ともにおかしくなってしまって、自分なりの学びさえも進められませんでした。絵を見るのも怖い、描くこともできない、それで画材もしまい込んで。退院後も約3年間、リハビリ施設に通っていました。10代半ばから20代前半まで、かなり苦しい時期でしたね。
ーそこからもう一度、絵を描くようになったきっかけはどんなものだったのでしょうか?
退院した約1年後に、研究所で一緒に勉強していた友人が、僕を心配して会いに来てくれたんです。夏の暑い日でした。彼は東京の美大に行ったのですが、たくさん話をして、励ましてくれて。別れ際に、「もう1回、絵でも描いたらどう?」と言われたんです。
そのときの僕は、もう一生絵は描かないだろうなと思っていましたが、友人のその言葉に、ふと画材屋さんに入ってみようという気になって。そのままの勢いでなんとなく、B4のイラストボードを買ったんです。
それでもすぐには描けませんでした。当時、日中はリハビリ施設のお世話になり、帰宅してから母親が帰ってくるまで2時間ほど何もしない時間があって。友人の「もう1回、絵でも描いたらどう?」という言葉が頭の中にあって、絵を描いてみようかなと、その時間に少しずつ、ポツリポツリと描き始めたんです。自信はすっかりなくなっていましたが、その2時間の間に、少しずつ、本当に少しずつですが描くようになって、徐々に元気になっていきました。それから、アルバイトをしながら絵を描くようになって、この時ようやく絵の道を歩み始めたような感じですね。あの時の、友人の言葉と自分の行動が、今の制作全ての起点になっています。

作品名:K市の風景75th
ー筆を握る感覚や、絵を描く楽しさを思い出す瞬間はありましたか?
はい。描くこと自体を楽しく感じていましたし、もう少し言えば、心が明るくなりました。すごく苦しくて、つらかった僕が、上手くなくとも自分なりの絵を描いている時、そう感じたんです。それが描き続ける原動力だったと思います。自分らしい人生を生きている感じがしました。
それまでは課題を与えられて描いていたので、いざ自分でモチーフを決めて描くとなると何を描けばいいのかわからなくて、絵の具を塗りたくるだけのよくわからない作業をしていたんですけどね。
自らの経験で実感した「好きなことを見つけること」の大切さ
ー現在、絵画教室をされていますが、そういったご自身の経験も教える理由のひとつなのでしょうか?
そうですね。あの時もしも、もう一度筆を握るという選択をしていなかったら、今頃どうなっていたんだろうと思うとすごく怖くなるんです。妻との出会いもそうですし、周りの皆さんや、今のこのアートメーターとのご縁も、あの時のあの選択があったからなんですよね。それほど大きな出来事でした。
それはつまり、好きなことがあれば人生を支えられるというか、その好きなことが偶然をも巻き込んで、思ってもみない出会いや出来事が生まれ、良い方向に進んでいくということだと思うんです。だからこそ、子どもたちには何か好きなこと、これをやっていると心が救われる、支えられる、そういうことを見つけてほしいなと思います。僕としては、絵を描くことでしか向き合えないので、それが絵を描くことだったら嬉しいし、教室でこの想いを伝えていきたいと思っています。
余談ですが、教室に関しては「絵を通じて認めること、励ますこと」というテーマがしっかりとあります。子どもも大人も、障がいや精神疾患を抱えている方へも同じで、これも自分の経験があってこそですね。それからやはり、受験で絵を描けなくなる子どもが実際にいますので、それを変えていきたいという想いもあります。

作品名:K市の風景91th
ーかなり大胆な構図を作られますが、その描き方に辿り着かれた経緯は、何かあるのでしょうか?
K市の風景の大胆な構図は、私の故郷の山梨県立美術館というミレーの絵画収蔵で有名な地方美術館があるのですが、その庭を描いたことがきっかけです。丘のようになっている場所に木があって。その景色を平面的にとらえて画面を構成するにあたり、丘の曲線をバサッと切ったような構図が面白いなと思って描いてみたんです。
当時は土手も描いていましたし、眼前にワッと広がる丘などの、何かそういう風景が好きで、それらをどう組み立てるかという試行錯誤をしていました。実際にある景色をヒントにして、そこからさらに自分の内面的な部分も併せて表現するというか、自分の心もそこに反映させるんです。
ー個人的に好きな作品なのですが、「K市の風景127th -メモリーズ-」という絵はイメージの方を強く表現されていますよね。
はい、この作品に関しては、現実の描写よりも自分のイメージ、その時の感覚を大切にしました。山梨県にある昇仙峡という景勝地に行って感じたイメージがもとになっています。例えば、滝がバーっと落ちる水しぶきの様子、その水の匂いや音、空の色、林立する松林があって、そこに岩山があって。そういう実際に行って自分が見たものと、感じたイメージで、描いた作品です。

作品名:K市の風景127th ーメモリーズー
ーシリーズ化されている「K市の風景」作品の「K」とは、出身地である「K市」と「心」のKと説明されていますが、心の部分が占める割合が大きいのでしょうか?
やはり精神的に参っていた時、自分の状態が非常に悪かった時に、感じた心の内側や、目にした景色が今の作品に重なっているかな、とは思います。空虚さや寂しさ、でも、温かかったり、光に満ちていたり。
今の世の中は、混乱しているというか、殺伐としているというか、国内だけでなく世界も動乱期に入っているように感じていて。心の痛むニュースとか多いですよね。その中で、表現者としてこの世界との関わり方とは何だろうと考えてみると、僕としては落ち着きや優しい気持ちなど、動乱や混乱、殺伐としたものを中和していくような作品を作ることなのではないかと考えています。それが僕のできる小さなことなんですけど、世界が傾いてる方向にバランスを取るような、そんな作品を世に放ちたいと思っています。
新たな方法を取り入れながら変化していく絵画
ー点描も多く用いられていますよね。
はい、あれは綿棒で描いているんですよ。絵の具を綿棒の先にぽちょっとつけてトントントンと打っています。もともと使っていたアクリル絵の具で、異なる描き方ができないかと思って取り入れ始めました。まだ模索中でわからないところもありますが、楽しみながらチャレンジしています。絵画がどう変化するかなと思って。
ー支持体も、これまでいろいろなものを試されてきたのでしょうか?
最近は木製パネルに直接描いていますが、以前はそこにケント紙やキャンバスを張っていました。木枠の張りキャンバスに描いていたことがありますが、僕は支持体を机に寝かせて、その上に手を置いて描くので、張りキャンバスですと押し当てるとたわんで、跡がついちゃうことがあるんですよね。
もともと水張りもキャンバスを張るのも苦手ですし、木枠の張りキャンバスだと制作に影響が出てしまう、それなら平らな板みたいなものがいちばん描きやすいと思って。今は何も張らず、そのまま木製パネルに、ヤニ止めのシーラー※1を塗って、その上にジェッソ※2を塗って、それから絵を描く、という方法になりました。描き進めていく段階で、少しずつ変化が出ていきました。
※1 ヤニ止めのシーラー:木のアク等のしみ出しを防止する下塗り剤※2 ジェッソ:キャンバスや板などの支持体に塗る下地塗料。特にアクリル絵の具の下地として広く使われる。使用することで、絵の具の発色を良くしたり、定着を助けたり、キャンバスの表面を均一にする効果がある。
感覚を絵画にする力と、想いを言葉にする力
ー絵画の制作にあたって、こだわりやマイルールなどはありますか?
自覚している決め事などは特にありませんが、きっちりしていないと嫌なところがありますね。塗りにしても、点を打つにしても、線を引くにしても、最近は確信めいたものが欲しいと思って描いています。
僕はお気に入りの研究者の本が好きでよく読むのですが、研究者の方は研究対象をものすごく細かいところまで徹底的に調べられるんですよね。それを絵画の制作に転じてみると、画面の中では小さな要素であっても、なんとなく描くのではなくて、「ここの、ここに、この線と、この点がなければならない」という確信のもとに描きたいと感じるんです。そんな風に、研究者の本を読んでいて、絵画の描き方を省みることがあります。そこはこだわりといえばこだわりかもしれません。
一筆一筆に確信めいたものが欲しいというか、一筆一筆を意識しているというか、そう感じながら描いているような気がします。

作品名:ゲリラ豪雨2024
ー感覚を画面に写し出して表現する力ですね。
僕は理詰めな絵はあまり面白くないと思うんです。表現は感覚優先だと思うので、例えば「こういう絵を描きたい」というイメージや色の感覚は反射的なもので、調合を考えて描くよりも感覚に任せた方がそのイメージに近づくと思います。
でも、いざ絵画を作り込む段階では、やはり考え、意図的に手を動かすことが必要です。感覚主導でありながらも、ある部分では理屈、思考、整合性といった考える力が合わさっていないと、恐らく描けないんじゃないかと思います。
それから、言葉で表現する力も必要だと思っています。絵を見て、感じるものが一番なのは前提としてありつつも、描いている背景や作者の想いもセットで作品だと思うんです。なので絵画として表現する力、想いを言葉にする力、両方が必要だと思っています。
心に忠実に、素直に表現すること
ー影響を受けたアーティストはいらっしゃいますか?
20代の頃はベン・シャーンというアメリカの画家が好きで、画集を買うなどして勉強していました。いろいろなアーティストの絵を見るのは好きですが、今の自分の絵に直接影響があったアーティストというと思い浮かばないですね。誰かの表現を自分の作品に導入しようという意識がなくて。
若い時は、そういう試行錯誤をしたこともありましたが、いざ自分が絵を描く時に他者の絵のイメージが頭にあると、それが雑念になって画面に違和感が出るというか、上手く消化されなくなってしまって。だから下手でもいいから描きたいように描く、そういう素直な心を描き出せばいいんじゃないかと思い至りました。そうすることで、結果的に自分らしい絵や、作品そのものの強度に繋がるのではないかと思います。
ー今後やってみたいこと、挑戦したいことがありましたら教えてください。
今の表現をさらに追求していき、もっともっと、より自分らしい絵を描きたいと思っています。自分の求めているもの、描きたい世界が、無自覚でもきっとまだあると思うんです。それを形にしていきたいですね。具体的に何なのかは、まだわからないのですが、自分らしく、自分自身が求めているような絵が描けるといいなと思っています。
<取材を終えて>
ゆっくりと丁寧に言葉を繋いでいく三井ヤスシさん。研ぎ澄まされた豊かな感性で、心に響いた風景を画面に写し出す技術、思考力、それらを融合させ扱うには大変な努力があったのだろうと感じました。

三井ヤスシ
画家・イラストレーターとしての活動と共に、出版社を立ち上げ、本や絵本の制作、さらに絵画教室主宰など、幅広くご活躍されています。その裏側には、つらく苦しい過去を乗り越えた経験と、絵を描くことにより発見されたご自身らしい人生の歩み方がありました。
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