授業のひとコマから始まった「抽象画を描く」ということ
ー絵を描き始めたきっかけを教えてください。
中学生の時も高校生の時も、美術はすごく好きだったのですが、学校の授業でしか絵を描いた経験はなかったんです。
大きなきっかけは、大学のゼミの先生と絵を描いたことですね。その時からずっと描いています。工学部で、ロボットの勉強をするような学校でしたが、線を2本使って抽象画を描いてみよう、という授業が一度だけあって。それが始まりでした。
そのゼミでは、好きなことをしていいと言われていたので、椅子などの工学デザインを勉強したいと伝えていたのですが、その流れで絵も描きたいと言ったら、水彩・アクリル・ガッシュやポスターカラー、それからスケッチブックもゼミで用意してくれて。私だけでなく、同じゼミのみんなも、それを使って自由に絵を描いていました。
ーその時点で「絵を描いて生きていく」という決意をされていたのでしょうか?
卒業する時に、学校の先生になるか画家になるかで迷いました。もともと先生になりたかったんですよ。でも、絵を描くことにすごくハマってずっと描いていたので、ゼミの先生が「画家として生きる道もいいんじゃないか」と言ってくれて。それまでは楽しくて描いていただけだったので考えたことがなかったんですけど、先生に言われてから、画家になるのもいいなと思っちゃいました。
ただ、教員免許も取ったのに先生にならないのはもったいないと、周りの方々に止められたこともあり、卒業後の3年間は高校で数学の先生をしました。そのあと、先生を辞めて海外へ行ったんです。絵を習ったこともないし、ツテも何もなかったですが、「絵を売るなら海外」という思いが漠然とあったんですよね。それでスペインのバルセロナへ行きました。
ーバルセロナにはどのぐらい滞在されたのですか?
その時は観光ビザで3ヶ月間の滞在でした。絵を売ったり、友達になったロシア人の子とヒッチハイクでポルトガルに行ったり、現地の人たちと仲良くなって、ギャラリーを教えてもらったりしました。コロナ後は行っていないんですけど、コロナが始まるまではよく行き来していましたね。
ーバックパッカーをやってらしたんですか?
その気は全くなかったんですが、そのロシア人の子に誘われて旅行に行ってみたら、結果的にそうなっていました。テントで野宿したり、ヒッチハイクしたり、面白かったですね。女の子2人だったので、危ない目に遭いそうになったこともありました。知り合った男性が、「危ないから、自分と同じホテルの部屋を取ってあげるし、ホテル代も出すよ」と言ってくれたんです。過去にも同じように助けてくれた人がいたので、ついて行ったら、その男性と同じ部屋に泊まることになっていて。これは話が違うと、その人がいなくなった一瞬の隙を見て、急いで荷物をまとめて2階の窓から投げて逃げました(笑)。
彼女はヒッチハイクでロシアを一周をしたことがあるらしくて、ヨーロッパでもヒッチハイクをすることに抵抗はなかったみたいです。私は彼女について行くだけでしたが、そういうのを楽しんじゃう系なんですよね。今住んでいる今治も、パートナーが「山暮らしがしたい、木こりになりたい」と言い出した時に、「私もしてみたい」と思って、2人で東京から引越したんです。バルセロナに行ったこともそうですし、私は「環境を変えて、そこで楽しむ」ということが好きなのかもしれません。
窓から差し込む丸い光からインスピレーションを受けて生まれた表現方法
ーバルセロナ現地でも絵を描かれていたのでしょうか?
はい、現地でも、風景や似顔絵を描いて、それを売っていました。
最初は、ギャラリーや雑貨屋さんに、日本から持って行った自分の絵やポストカードを持ち込んで、「置いてくれませんか?」と売り込んでみたんですが、全く聞いてもらえなくて。よくわかんない日本人が来てもそりゃそうですよね(笑)。どこも門前払いだったので、「もういい、自分で売る!」と決めて。バルセロナには路上文化があるので、お土産などの小物を売っている人がいたんですよ。その隣に座って手売りをしてみたら、結構売れたので、絵を描いて生きていけるかもと思いました。
もうすぐ完成するサグラダ・ファミリアですが、私が訪れた時は、まだ全然できていなくて、ステンドグラスも色が入っただけ、キリスト像さえ入っていない、そんな状態でした。その中に、丸い窓があって、そこからふわぁっとした丸い光が入ってきていて、オルガンがその光に綺麗に照らされていて。
その様子が印象的で、丸を使ってサグラダ・ファミリアを描いてみたんです。それが観光客の方に好評でたくさん売れて。それまでは、全く違ったテイストの絵を描いていましたが、そこから丸の絵を描き始めました。バルセロナで出会ったものと自分の絵が融合して、今のあの丸い絵ができたんです。
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作品名:「サクラダファミリア(紫)」
ー場所や人とのご縁を経て、現在の技法に至っているんですね。
そうですね。ご縁は本当にすごいと思っています。それからはその丸をサグラダだけでなく、スペインと自分との縁、ひとりの人やエネルギーに見立てて描くことを始めました。
もともと数学や物理が好きで、エネルギーとか素粒子とか、アインシュタインの相対性理論などの法則にも興味があったので、それらと絡めていって。丸をそういうものに見立てたら、何でも表現できるように思えて、そこからいろいろ描いていますね。丸自体が完璧で、好きな形なんです。描いていて、すごく楽しいんですよね。
ー描画材も支持体も様々なものを使用されていますが、使い分ける理由はあるのでしょうか?
壁画や内装だとアクリル絵の具を使いますが、小さい絵というか、自宅での制作にはだいたい色鉛筆を使っています。
特にカランダッシュのルミナンスという色鉛筆は、絶対に使うようにしています。値段はすごく高いんですけど、発色がとても良くて、それ以外の色鉛筆には戻れなくなりました。
紙に関しては、特にこだわりはないのですが、あまりザラザラしてない画用紙が描きやすくて好きですね。モチーフに合わせて選ぶこともあります。例えばクラフト用紙は、山に合うかなと思うので山シリーズを描くときに使うとか。あとは白だけだと飽きてしまうので、黒い画用紙も使いますね。ただ、やはり白い方が色鉛筆が綺麗に発色するので、最近は、白い画用紙に描いたものを切って黒い画用紙に貼っています。
ー壁画も制作されるんですよね。麒麟の壁画を写真で拝見しました。
はい、そちらはご依頼いただいて、横浜のホテルで制作しました。もともとそのエリアだけディープな雰囲気で治安が悪かったらしいのですが、旅行者にも貸し出しを始めるためにイメージを変えたかったみたいで、雰囲気を良くするにはアートがいい、という話になったそうです。外国でも、アートを取り入れてイメージを変える取り組みをしている地域がありますよね。
「自由に、何でも思ったようにしてください」というご依頼で、全てを任せてくださって。デザイン会社をやっている友人に相談してみたら、外国人が多く来るのであれば日本らしいものがいいんじゃないか、と。そこから絵の具や内装の話をしているうちに、あの形に決まっていきました。

横浜のホテルで描かれた麒麟の壁画
ー構図はあらかじめ考えられるんですか?
家で描くときは、それほど細かくは考えないです。たくさん描くので、納得のいかない作品も多くあって、処分もガンガンしています。
大きい絵を描くときは考えます。とくに壁に描くと消せませんし、ご依頼されたものはしっかりと考えてから描いています。
ただ、大きくてもライブペイントでは全然考えないですね。当日行って「今日はこれを描こうかな」とインスピレーションで決めて、描きながら「これも描こう、あれも描こう」という感じです。
ー絵を描くときのこだわりやマイルールはありますか?
ほとんどないですが、やはり人の手に渡るので、その絵を見て毎日いい気分になってもらいたいな、という思いで描いています。
最近は、大好きな猫を描いて自分も癒されています。親戚がみんな猫を飼っていて、猫のいい写真が撮れたら送ってくれるので、それを描いていたら「うちの猫を描いてほしい」と依頼されるようになって。改めて猫っていいなと思いました。

作品名:「ガーベラと猫」
ーご依頼はSNSを通じて?
マルシェなどイベントで声をかけていただくことと、SNSが多いですね。あとは、西荻窪に住んでいた頃、飲みに行った先で仲良くなって依頼を受けるとか、そういうご縁もありました(笑)。
それまでの価値観にとらわれない自由なマインドから生まれるアート
ー影響を受けているアーティストはいますか?
こう描きたい、みたいなものは多分ないんです。好きな絵柄の作家さんはたくさんいるんですが、作品より精神面の方が影響を受けているかもしれません。
例えば、モビール※を作ったアレクサンダー・カルダーです。とても自由に生きていて、感覚そのままに「彫刻も動いたら面白くない?」とモビールを作ったら当たっちゃった人です。彼からは、楽しく作っているのが伝わるんですよね。他にも、ピカソの楽しく新しいことに挑戦しながら描いている雰囲気や、岡本太郎の「芸術は綺麗であってはならない」という言葉、そこから感じられる「それまでの価値観にとらわれず、自由に制作する」というマインドに影響を受けています。
※モビール:空気で動く彫刻のこと。「色彩の魔術師」とも言われるアレクサンダー・カルダー(1898〜1976)が行った発明と制作として知られる。
ー自由に楽しく絵を描くこと、それ自体がこだわりなのかもしれないですね。
そうかもしれない。気分が落ち込んだら全く描かないですから。
周りの人には時々、「画家って落ち込んだらそれを作品にできるんでしょ?」と言われるんですが(笑)、描きませんね。描こうと思えば描けますが、あまり描きたいと思わないんです。そんな時に描くのは違う気がしています。
ー今後やってみたいことや挑戦したいことがあったら教えてください。
大きい絵を描きたいなと思っています。内装などの依頼が来るといいなと。
あと、最近はグッズを制作してマルシェで販売をしているんですが、今住んでいる今治周辺に気軽に展示できるカフェなどがあまりなくて。そういうグッズを販売できる場所を増やしていけたらいいなと思っています。それから、絵を発表できる場も併せて探していこうと考えています。
ー今後のご活躍も楽しみにしています。他にも何か伝えたいことなどありましたらお願いいたします。
本当に「みんな楽しく生きたらいいよ」と思いますね。私のパートナーはすごく面白い人で、元僧侶なんです。ミャンマーにあるジャングルの奥地で修行したような人で(笑)、その人も「どうせ死んじゃうよー」という考えを持っているんですよ。
私の周りでも大変そうにしている人もいますが、「もっと楽しく生きていいんじゃない?」「気楽に過ごしていいんじゃない?」ということは、絵を描いていて感じますね。そういうことを作品を通して、メッセージという大袈裟なものではないですが、伝えられたらいいなと思います。

watamako
ご自身が置かれた状況を明るく解釈し、柔軟で、軽やかに生きていらっしゃるwatamakoさん。そんなwatamakoさんだからこそできた経験から生まれた表現方法で、「愛」や「癒し」などのプラスのエネルギーを、絵画として具現化されています。
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