Interview

様々な経験から繋がった夢|やりたいことへ突き進む人生

「あなたのお家のちょっとしたスペースを楽しくPOPにしたい」という想いで作品を手がけている、さとのり-nodyさん。アクリルとフェルトや刺繍を用いて、明るくカラフルな作品を描かれています。

どのような経験や想いから、現在の活動に繋がったのか。さとのり-nodyさんにお話を伺いました。

美大を目指して絵の塾へ通う日々

ー絵を描き始めたきっかけを教えてください。

本当に記憶がないくらい、幼少期から絵を描くことは好きだったみたいですね。広告の裏が無地のものには全部絵を描いていたらしく、暗くなる時間までずっと描き続けていたぐらい本当に夢中だったみたいです。

多分1番は、幼稚園で「お父さんの絵を描いてきて」と言われて描いていったら、先生にすごく褒められたことかなと。誰にでも褒めるんでしょうけど、すごく嬉しかったんですよね。「私って絵が上手いんだ」というのが、そこで芽生えたのかもしれないです。

ー本格的に絵を描きたいと思われたのはいつ頃だったのでしょうか?

小学生の頃から、「絵の大学に行きたい」とずっと両親に言ってたみたいで、中学生の頃の進路決定の時には、その道で考えていました。

近くに、父も通った工業高校のデザイン科があったんですが、「大学に行きたいなら普通科に行った方が良い」ということで、普通科に進学しながら美大を目指そうということになって。高校1年生の頃から、隣の県にある河合塾の美術コースに週一で通わせてもらってました。

絵画教室には小学生の頃から通いたいとは思いつつ、家の近くでは見つけられなかったんですよね。「大きくなってからで良いじゃないか」ということで、高校生になってから河合塾に通わせてもらって。

運動も好きだったので、高校の部活は美術部ではなく水泳部に所属していました。ただ、高校3年生になったタイミングで、受験に向けて塾に通うのが週一では足りなくなったので、水泳はやめて絵に集中するようになりましたね。

愛読雑誌への応募から芽生えて決まった進路

ーかなり早いタイミングから進路を見据えていらっしゃったんですね。

そうですね。あとは、私が高校生の時、『Olive』というすごく人気のある愛読雑誌に掲載されたことがあったんですよね。多分それが、「仕事になるんだ」って明確に思ったきっかけだったと思います。

一般募集の投稿ページがあるんですが、ある日、「描いたら載せてもらえるのか」と思って、応募してみたんですよね。

そしたら、初めて描いて出したのに、パッてすぐに掲載されて、高校の知らない後輩からも、「Oliveに載ってましたよね?」って声をかけてもらうこともあって。その頃みんなが好きな雑誌に載ったというのが、1番印象的でした。

実際に掲載された雑誌『Olive』のページ

その時から「私の絵で良いんだ」と雑誌の挿絵に興味を持ち始めて。絵を描きながら自然とデザインや挿絵、雑誌作りに興味が湧いたりしたんですよね。そこから、「デザイン科を目指そう」というふうに固まってきました。

元々自分で絵を描いていた時は、油彩とかには興味があまりなくて。塾では基礎から全部学んで、一通り水彩などもやっていたんですが、デザイン科に行くと決めてからは油彩も彫刻もやらず、ポスターカラーやアクリルなどで絵を描く方にシフトしましたね。

アクリルは、ポスターカラーだと水に濡れてしまうとダメになるけど、アクリルなら色褪せないし、なのに水に溶かして描けるっていうのが良いんですよ。ポスターカラーのバージョンアップ版みたいで気に入って、よく使うようになりました。

ーその後心境の変化はありましたか?

実際美大に入った後は、バイトでもデザインに携わりたかったので、小さいデザイン事務所のバイトを紹介してもらったんですよね。バイトなので、現場で働く人たちのサポートがメインだったんですが、時々イラストを描かせてもらえるタイミングがあって。

そういう現場を経験した上で、「こういうデザイン良いな」っていうのも目の当たりにして、「自分はデザイン事務所で仕事をするんだろうな」とその時から思っていました。

バイトしていた事務所の社長から、「そのまま就職してくれたら嬉しいなぁ」なんて冗談まじりに言ってもらいましたが、視野を広げたいという思いがあり、あえて別のデザイン事務所に就職を決めました。

ー無事デザイン事務所へ就職されたんですね。

そうですね。ただ、過酷でした(笑)私たちの時代は終電が当たり前の世界で、若さ故に続けられましたけど、さすがにちょっとしんどくて。あまりの大変さに、1年で辞めちゃいました。

その事務所が旅行のパンフレットを扱っていたんですが、季節ごとに必ず変わりますし、コースの設定が細かく、地名や日程と、とにかくややこしいんです。本当に細かい作業ばかりで納期に追われていました。

だけど、まだデジタル作業が主流ではない時代だったので、手で罫線を引いたり写植の指示なども全部学ばせてもらえたのはすごくありがたかったですし、楽しかったです。はりきってやっていました。
※写植:写真植字の略。写真の原理を用いて、文字や罫線などを印字すること。

職場で得た技術を元に独立

ー転職先もデザイン関連の会社だったのでしょうか?

転職先は、服のネームタグなどを作る会社のデザイン部門でしたね。若い女の子ばっかりのデザイン部門で、Mac担当として採用されて。ちゃんと人に教えられるまで、イラストレーターやフォトショップを使いこなせるようになるのが、私の採用の条件みたいになっていました。

というのも、前の事務所で「これからはMacの時代だ」というので、仕事が早く終わった時は1時間だけ勉強会みたいなのをしていたんですよね。

「イラストレーターはこうやって使う」とか「画面上で絵はこうやって描く」みたいな、ちょっとずつ触って学んでいたことを面接の時に話したら、それが功を奏して採用されました。プレッシャーだったんですけども、たくさん勉強をさせてもらい、Macでデザイン出来るスキルを習得しました。

ー前職での経験が活きましたね。

そうですね、それで使えるようになったのは、すごくありがたいなと思いますね。

そこから、当時ずっと県外の職場へ通っていたんですが、「やっぱり通えないな」と思ったのと、ぼちぼちMacが自分で買えるぐらいの価格になってきたので、自宅で自分でやろうと思い、結婚を機に独立しました。

イラストを描けることで、ありがたいことに色んな人から仕事をいただき始め、それからずっとフリーデザイナーとして、活動出来ています。

思い立って始めたカフェ経営

ー今の作風になられたのは何かきっかけがありましたか?

小さい頃から手先が器用で、刺繍とかも大好きだったんですよ。普通に絵を描くだけじゃつまらないなと思い、刺繍とかを絵に取り込めないかなと。キャンバスなら針が刺さるということに気づいて、チャレンジしました。

作品名:3Dキャンバス Dream Blue

刺繍は特に勉強をしたわけじゃなく、人に出せるものでもないんですが、絵の一部としてなら良いかなと(笑)

絵が好きだったのに、デザインの仕事をするようになって、いつの間にか「一点ものを集中して作る」ことから遠のいていきました。自分として気に入ったものが仕上がると、それを崩したくなくて使い回したくなるんですよね。デジタル上でコピペするみたいに。

いわゆる画家っぽい絵というか、アーティストっぽい絵を描けないのは、デザイン業をずっとやってきたからかなと思います。

ーご自身のやりたいことに真っ直ぐなんですね。

そうなんですよね。30代後半に差しかかると、デザイナーとしてこの先新しい波に乗っていけない気がして、他に何か出来ないかとデザイン業も兼任しながら、興味のあったカフェの経営をいきなり始めたんですよ。

元々カフェ巡りが好きだったという理由からいきなり「カフェ経営する」と言い出したので、最初夫にはすごい反対されたんですよね。その後、野菜ソムリエの資格を取得するとか、一生懸命やっている姿を見て応援してくれたんですが、飲食店の経験もなくやるのはすごく大変で。現実は厳しく、結局1年で根を上げてしまいました。

あとで振り返って考えてみると、1番やりたかったことは接客ではなくて、ロゴやメニュー表を作ることだったんですよね。売り上げもないのにカフェのオリジナルTシャツを作るとか、そういうことばかりしていたので、結局自分はデザインがしたいんだなと、戻ってきました。

ーカフェをやるにあたって、野菜ソムリエの資格を取得されたのは何故でしょうか。

カフェをやるときに、何か特徴がないといけないと思ったんですよね。それで、自分が野菜好きということと、当時のヘルシーブームに乗っかって野菜スムージーを提供するようなカフェにしようと思って、取得しました。

カフェをやめてからは、お金もなくなり、心も折れ、「飲食店でお金を稼ぐってこんなに大変なのか」と、しばらくブルーになっていたんですよね。でも、そこで知り合った友達や、野菜ソムリエの資格を取ったことで出来た仲間もいて、マイナスじゃなかったなと後から実感出来ました。

カフェ経営から繋がった縁で叶えた夢

ーカフェ経営のなかで、素敵なご縁もあったんですね。

そうですね、高校生の頃に興味を持った「雑誌の挿絵」に関わる仕事が出来たきっかけにもなりました。

自分のカフェで、アロマやプリザーブドフラワーなど様々な講座を開いて、講座後にうちからシフォンケーキを出して「ティータイムも愉しむ」みたいなのをしていたんですよ。

その流れで、自分のカフェをやめてから「今度はあなたが講師になったら?」と、同じ野菜ソムリエでカフェを経営していた友達から誘われまして。デザイナー業と兼任で、野菜の講座を2年ほどしていました。

その時、食育情報誌『ママごはん』さんから声をかけていただいたんです。当時、「野菜の監修が出来て、イラストが描けて、なおかつページ構成が出来る人を探していた!」ということで、担当することになりました。

今はもうそのコーナーが終わってしまったんですが、11年半やらせていただいて。イラストも描けて自分で自由に構成が出来るという、昔の夢が叶った仕事だったなと思います。

実際に掲載されている食育情報誌『ママごはん』のページ

最終的な目標はビジネスに繋がること

ー絵を描くうえで大事にしていることを教えてください。

デザイナーの立場で言うと、仕事としてイラストを描いているので、なるべくクライアントさんの意向を聞いて、きちんとそれに応える、というのがもちろんポリシーとしてあります。

ただアーティストとしては、すごいカラフルなのとか、細々としたものがギュッと詰まっている絵を描くのが好きなんですが、癒しというより、ポジティブになれるようなPOPな絵を描いていけたらなと思っています。

ー今後挑戦していきたいことはありますか?

最終的にはビジネスに繋がったら良いなと基本的には考えているんですけど。例えば自分のデザインが、包装紙だったり、ワインやクラフトビールのラベルになったら良いなとか、そういうのも夢ですね。

絵も、デザインチックに描くんじゃなくて、もっと描き込んだものだったり、アクリルを使ってもうちょっとアーティスト寄りの作品を描いたり。そういうことにも、チャレンジしたいなと思っています。

さとのり-nody

さとのり-nody

幼少期の夢を叶えるために、高校生の頃から本格的に絵の勉強を始める。デザイナーを目指して美大へ進学し、デザイン事務所から独立してフリーデザイナーへ。デザイナー業の傍ら、お家のちょっとしたスペースを楽しくPOPにする作品を制作している。

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